コンサートが終了して一週間後、私事ではありますが、私にとっては
もうひとつのイベントがありました。
それは、入院と、手術です。
かねてより頭にあった、「ラトケ嚢胞」の手術です。詳しい経緯は個
人ブログ(Friendlly wind~風のように)のほうにかかせていただいています。
夏休みの二週間ほどの予定だったのが、手術の合併症を併発して、
予定外に入院が長引き、9月17日にやっと退院できました。
合唱団の子供たちは、その間、ひろし先生がレッスンをしてくれていました。
やっと退院できて、合唱団にいったときは、うれしくて涙がとまりませんでした。
これまで大きな病気もしたことがなかった私にとって、この入院は、とても
おおきなできごとでした。こどもたちを指導する立場の人間として、自分が経験
したこと、そこから感じたことや学んだことを、わかりやすく伝えていくということは、
「先生」とよばれるものとしては、とても大切な仕事なのではないかと思います。
まずは、合唱団の子供たちへ、伝えよう、と、子供たちへのお手紙形式にして、
渡しました。このスタイルのほうが、こどもたちのためだけでなく、より、じぶんの
きもちが素直に表現できる気がしました。
「せんせいがなつやすみにけいけんしたこと」
みんな、しんぱいかけてごめんね。
せんせいは、このなつやすみに、しゅじゅつをしました。すぐたいいんするつもりだったのに、いろんなことがおこってしまって、ずっとにゅういんしたままでした。
にゅういんしていたうち、はんぶんくらいは、ずっとねたままでした。
ちりょうのために、からだをおこすことも、あたまをあげることも、しちゃいけなかったの。
ごはんをたべるのも、はをみがくのも、トイレをするのも、ぜんぶベッドの上でねたままです。
だから、なにをするにもだれかにたすけてもらわないとできませんでした。
だから、ずっとかんごしさんや、いろんなひとに、おせわをしてもらっていました。
そういうせいかつをなんにちもしていたせんせいは、いつしか、こんなことをかんがえるようになりました。それは、「どんなちいさなことでもいいから、はやくだれかのためになにかしたい」ということでした。はやく自分でうごきたい、すきなことしたい。それももちろん思いましたが、それよりも、今まで思ったこともないほどつよく、「だれかのためになにかしたい」と思いました。にゅういんまえにあたりまえのようにしていた、だれかのためにごはんをつくったり、せんたくをしたりしていたことが、まるで、ゆめのようでした。
だれかのためになにかできるって、なんてすごいことだったんだろう。
そうおもいました。
いくらそうおもっても、そのときのせんせいには、なにもできませんでした。
いつになったら、うごけるようになるのかも、わかりませんでした。
「いまのわたしにはなにもできない」そうおもっていました。
でもあるとき、かんごしさんとはなしていたせんせいは、そのかんごしさんが、せんせいがはなしたことで、えがおをみせてくれたのをみて、きがつきました。
「わたしのいったことで、わらってくれたんだ」「いまはからだはうごかせないけど、わたしは、こえもでる、てもあしもうごかせる」
そこで、せんせいがまずしたことは、「できるだけげんきなこえをだす」ということでした。やってみると、ずっとげんきなこえをだしてなかったことにきづきました。
2かいめのしゅじゅつをしてから、「もしかしたら、まただめかもしれない、、、」とおもっていたせんせいは、すっかりこころのげんきをなくしていました。そして、こころからげんきなこえをだすことを、わすれてしまっていました。
これはいけない、とおもいました。せんせいは、うたのせんせいなのに、げんきなこえをだすことをわすれてしまうなんて。このままじゃ、うたのせんせいじゃなくなってしまう。まずはげんきなこえをださなくちゃ。
だから、あさ、かんごしさんがきたときには、できるだけげんきなこえで、「おはようございます」といいました。また、「きょうはあつそうですね」とか、なんでもいいから、できるだけこえをかけるようにしました。そうすると、あいても、いつもよりげんきにあいさつをかえしてくれたきがしました。そのようすに、じぶんも、げんきになったきがしました。すると、まわりのくうきまでも、あかるくなったようなきがしました。
「ことばひとつでも、できることはある」そうおもいました。
ほかにも、ちょっとでもかんごしさんがしごとをしやすいように、じぶんでできることはないか、かんがえる、とか、なにかようじをたのむときも、かんごしさんがいまいそがしくないかどうか、よくかくにんする、とか、あたりまえのことなんだけど、これまでいじょうにちゅういをしようとおもいました。そうしていると、じぶんのきもちがどんどんあかるくなっていきました。
もうひとつ、せんせいが、びょういんでねるまえに、いつもかんがえていたことがありました。
「きょうも、かぞく、ともだち、わたしのたいせつなひとたちが、げんきにすごせてよかった。あしたも、どうかみんなげんきですごせますように」ということでした。
せんせいは、にゅういんしたときは、いっかいだけしゅじゅつをして、すぐにたいいんして、八月のレッスンにはみんなのところにかえるつもりでした。それなのに、2回もしゅじゅつをして、(ちいさいしゅじゅつもいれると、3回したの)ほかにもいろんなちりょうをして、それだけがんばっても、いつになったらいえにかえれるのか、ほんとになおるのか、まったくわからないじょうたいになってしまいました。それはぜんぜんよそうしていなかったことでした。「なんでじぶんがこんなことになっちゃったんだろう」と、なんどもおもいました。じぶんにこんなことがおきたんだから、ほかのみんなにも、そういうことがおきるんじゃないか。。。そんなふうにおもって、まいにち、かぞくやみんなのことがしんぱいでたまりませんでした。
そして、こうおもいました。「にんげんは、あしたどうなるかも、わかんないんだ。。。」
あしたどころか、にんげんは、いちびょうごも、じぶんではきめられないんだなあ、とおもいました。
みんながげんきで、おとうさんもおかあさんも、ともだちも、みんなげんきでいる、ということは、じつは、とても、すごいことなんだ、とこころからおもいました。
すごくながくなっちゃったけど、せんせいがこのにゅういんできづいたこと。
ぜひみんなにつたえておきたいとおもったこと。
ひとつは、「どんなちいさなことでも、だれかのやくにたつことはできる」ということ。
まだちいさくても、ちからがなくても、からだがうごかなくても、できることはかならずあります。げんきなあいさつでも、ちょっとなにかをとってきてあげる、でも、じぶんのできることでいい。
それができて、だれかがえがおになってくれたら、それはそのまま、じぶんのしあわせになるんです。つらいときほど、「だれかのためになにかする」ことをしてみてください。そうすると、それはかならず、じぶんじしんのエネルギーになる。せんせいがそうでした。
そして、もうひとつ。
いま、げんきでいるじぶん、おとうさん、おかあさん、ともだち。
みんながげんきで、まいにちあえる、ということはとてもすばらしいことです。おとうさんがおしごとにいって、げんきにかえってくる。おかあさんが、まいにちごはんをつくってくれる。まいにち、あたりまえのようにすごしているけど、これはほんとにすごいこと。
たいせつなひとといっしょにすごせるこのしゅんかんを、たいせつに、かんしゃしていきたい、と、おもいます。かんしゃ、ってだれに?とおもうかもしれないけど、だれでもいい。おとうさんに、おかあさんに、ともだちに、そして、じぶんに、いちにちいっかい、「きょうもげんきでいてくれてありがとう」って、こころのなかでちょっとだけおもってください。
せんせいは、おもいがけず、たいいんできました。
きゅうにたいいんできることになったから、たいいんできたのが、まだしんじられなくなるときがあるんだ。たいいんしてすぐ、がっしょうだんにいったときは、うれしくて、なみだがとまらなかったよ。みんな、まっててくれてありがとう。
「にんげん、なにがあるかわからない」といったけど、どんなことがあっても、かならず、のりこえられるときはくるし、かならず、だれかがたすけてくれる。
にんげんは、けして、ひとりではいきていけない。
せんせいは、たくさんのひとにたすけてもらいました。たくさんのひとのおかげで、こうして、またげんきに、せいかつができることを、ほんとうありがたくおもっています。
このなつやすみにせんせいがけいけんして、そこでかんじたこと、けっしてわすれないようにしようとおもったので、これをかきました。せっかくなおしてもらった、このからだを、せんせいはだいじにだいじにして、これからも、もっともっと、すてきなうたがうたえるようにがんばりたいとおもいます。さいごまでよんでくれて、ありがとう。
これからも、いっしょに、たくさんのすてきなうたをうたって、そしてまた、すてきなコンサートをしようね。
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