「うちの子、オンチみたいなのよ」友達や、知り合いから時々聞く。
合唱団の見学に来られた親御さん、私がやっている親子向けのイベントにくるお母さんからも、時々「歌うのは好きで、よく歌っているんだけど、聞いてるとまったく調子はずれで・・・。オンチなんでしょうか?」または、お子さんではなく自身が、「私はオンチなんです・・・」
その質問にはいつもこう答えている。
「オンチな人、という人はいないと思います。」
音痴。すぐそばにあった子供用の国語辞典をひくと、「音感が鈍くて歌がうまく歌えないこと。また、その人」とある。一般的な概念を子供向けにかなり簡単に言い切るとこうなるのだろうが、音感が鈍い、という定義は実はとてもあいまいだ。
何をもって鈍い、とするのか。その鈍さ、というものは、その本人よりも、まわりにいる人が、判断していることが多い。その子が「違う音程で歌っている」から、「音感が鈍い=音痴?」となる。違う音程、というのは聞くほうにはわかりやすいからだ。
音感が鈍い、というと、まるで、先天的なもの、のような響きがある。一般的に認識されている「才能」というものと同じく、「もって生まれたもの」のような。しかし、その子が「音感が鈍いかどうか」ということは、ここでは問題ではない。正直、それは、音楽の神様しかわからないことだからだ。ここで考えなければならないことはそこではなく、「なぜ違った音程で歌っているのか」。理由はたくさんあるがここではまず、「子供の声」という視
点から考えてみたいと思う。
なぜ違った音程で歌うのか、それは、「その音程の声が出せないから」である。音感、ではなく、声を出すテクニック、技術の問題。
子供の声、とひとくちにいっても、その種類はさまざまだ。
声は声帯という場所から出る。空気を吸い、それを声帯に送り、声帯のうすい膜をふるわせ、それを体の各器官に共鳴させることで、声が出る。空気を吸って強く出したり弱く出したりする筋力と、それを響かせる器が大変重要になってくる。管楽器を想像してみてほしい。
低く、太い音、大きな音を出す楽器は、見た目にも大きく、高い音になるほど、小さくなる。
楽器は人間が作ったものなので、それぞれの形は大変理にかなっている。
しかし、人はなかなかそうはいかない。
低く、太い音、広い音域を出せる声帯なのに、体は小さい。筋力が弱い。
音がはずれている、といわれる人はいろんなタイプがあるけれど、もっとも多い、と感じるのがこのタイプだ。
これは子供にとくに言えることだ。こどもは体がまだまだ未成熟だ。低い音や太い音、そして、はばひろい音域や、ボリュームを出せる声帯、というのは、言い切ってしまえば「声帯が大きい」。こういう声帯を持っていても、体が小さく、筋力も弱いと、まるでダンプカーに軽自動車のエンジンをのせているような、そんな状態になる。
だから、その状態で出せる高さ、大きさの音を出そうとする。
声帯の一部分しか使わないから出せる音程は限られてくる。音域も狭い。でも好きだから歌う。出ない音域を出さないで正しい音だけで歌うなんてややこしいことできないから、出ない音域も、自分で出せる音程で歌う。音程は前の音との差で決まるから、ひとつ違う音で歌うとそこからバランスが微妙にかわってきて、数少ない、ちゃんと出せる正しい音すら、違う音になってきてしまう。
・・・これが私の考える、基本的?な音痴のメカニズムである。
さらりとかくつもりが長くなってしまった。
2へつづく・・・。
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