オンチはいない~こどもの声と歌について 2

じゃあ、なんで、体にあった声帯にならなかったのか。
神様はその子に、その声帯と体を与えた。
体のわりに大きな声帯。声帯はふつうだけど、筋力が弱い。
または、どちらもふつうだけど、引っ込み思案タイプや恥ずかしがり(音痴、というのは、体や声帯の原因だけでなく、性格なども原因のひとつ、という場合もあると思う。何でもまじめに取り組む子、でも、性格が慎重。頭がよくて、理屈はよく理解できる子。歌うという行為は毎回ちょっとした「思い切り」というものが必要になってくる。ちょっと恥ずかしがり屋さんで、どちらかというとまじめな頑張り屋さんは、正しい音を出すためのふんばり、や思い切りがいまひとつおいつかない。でも、「できない、やーめた」ではなく、とにかく歌おうとする。これはその子の誠実さ、まじめさゆえだ。結果、やはり、音程は狂ってくる。これも、音痴の原因として考えられることである。)
でも、その子は歌が好きなのだ。
そういう子たちには、少なからず試練がある。高音においては人の倍かかることもある。その代わり、あきらめず努力すれば、誰よりも確実に、理解したうえで自分のものにすると思う。とにかく練習し、研究するからだ。または自分のまじめさ、慎重さはそのままに、正しい音程を出すこと、表現力をみがくことに集中した結果、自分の性格とは正反対のものをも表現できる技術を習得するに至る。
実はこういう人たちが、一流と呼ばれる歌手に、または指導者になっていくのだ。
小さいころからほか子と同じ音程で歌えず、「高さが違う」といわれ続け、それでも努力と研究を重ねた結果、
誰よりも、発声のメカニズムを熟知し、また、誰よりも発声に悩む人に分かりやすく伝えられる、指導者であり、歌手になった人もいる。
ばらばらの音程で、がさがさの声で、それでも歌うことが楽しくてしょうがない、そんな子ほど、私には神様が「音楽」を「芸術」をとことん楽しみなさい、追求しなさい、音楽のほんとうの楽しさを体験しなさい、というメッセージをその子に与えたのではないか、と思うのだ。
では実際どのように指導するか。まだまだ私も試行錯誤なところはあるが、とにかくまず、伝えないといけない、と思うことは、「きみはとてもいい声帯をもっている、だから、」ということ。まず、こんな風に伝える。
「あなたは、とってもいい声帯を持っていると思うよ。でも、その声帯をぜんぶ使うには、まだ体は小さいし、筋肉もないの。今はたぶん、声帯をちょっとしか使わずに歌っていると思う、だから高い声がでなかったり、すぐがらがらになっちゃったりするよね。そのまま力をいれてうたうとね、声帯はだんだんつかれてくるの。せっかくいい声帯をもらっているのに、いためてしまったらもったいない。これから練習をしていったり、体が大きくなってきたら、必ずその声帯を全部使って歌える日がくる。そうすると、○○ちゃんの声帯は、先生とはくらべものにならないくらい、大きな声や、低い音から高い音まで出るようになるよ。(私の声帯は、普通、である。)そのときまで、○○ちゃんの声をとにかく大事にしよう。」
このことを、年齢に応じて分かりやすく、何度も伝える。そして、実際歌うときには、その子が無理なく出せる高さの音を認識させ、「ここまでの高さ(あるいはメロディなどで教える)は、○○ちゃんが今一番しっかり出せる音だよ、この部分は、○○ちゃんがいちばん上手に歌えるはず。だから、この部分はまかせたよ」
音程は違っていても、本人はあまり気づかず、歌っていることが多い。もし一緒に歌えば、声は大きいので、合唱のハーモニーからは大きくずれる。そんなとき、本人には上記のように伝えるのだ。実際そうなのだ。低音部になると、その子の右に出る子はいなかったりする。そのかわり、、、高音部、その部分は、「ここはみんなの声をよく聞くところだよ。」と指導する。聞きつつ、声はひかえめに、口はしっかり動かす。
それをすることで、腹筋は鍛えられていく。
「口パクで歌え」というのでは決してない。これが、その子の大切な声を守り、育てる、ということなのだ。
そして、その子が歌いやすい音域の歌を探し、歌わせる。
これまでは低年齢のため、合唱団はまずしっかりひとつのメロディを歌うことを中心にやってきたが、歌うことに慣れてきたら、この先は2部、3部に分けることで、それぞれの音域の持ち味はかなり生かされてくると思う。
「みんなと同じ高さの歌が歌いにくい」「音がはずれてしまう」大きくなるにつけ、そのことは自身にもわかるし、指摘されたりすることも出てくると思う。その結果、だんだん歌わなくなり、歌うことそのものが好きではなくなってくる。これは、私にはとても嘆かわしいことだ。もって生まれた立派な声帯と、歌を愛する心。その子の将来の「選択肢」を減らしてはいけない。また、歌を愛する気持ちを失わせてはいけない。
今回は「声帯が大きい」子について重点的に書いたが、どの子も少なからず得て不得手はある。それぞれの「得手不得手」をどう認識させていくか。
これには、その子との「信頼関係」が不可欠である。信頼関係の下、その子の持ち味を的確に伝え、それを生かす方法を教える。声だけでなく、その子の体、顔、すべてふくめて、プラスポイントの持ち味を客観的に伝える。
(「あなたは首が長くてかっこいい。あごを突き出さず、ひいてうたってごらん。そのほうが声も出やすいし、ほら、鏡で見てもかっこいいでしょう」「○○ちゃんの口元はとてもいろんな表情が作れて素敵だ。しっかり動かすともっといろんな表現ができるよ」というふうに)
そして、合唱において重要だと思うことは、一人ひとりのそういった情報を「みなで共有する」ことだと思う。
上記のようなことは、全員の前で、とくにおおげさにでもなく、さらりと普通に話す。ただし、「この子はこれがすばらしい。だからこういう練習をすればもっとすばらしくなる」という方向で。音程が外れている子なら、その子が得意とするフレーズを歌わせて見る。または、出にくい高音なら、一人で歌わせてみて、姿勢や注意点を教え、再度歌わせる。すると時々、ひょいっと高音が出る。そんなときは私もぞくっと感動する声だったりする。「(こんな声出るんだ・・・)」と私が感動してとまってしまう前に、まず伝える。「いまの、いまのだよ!」
当の本人は「・・・もうわすれちゃったよ~」私は「だいじょうぶ、またできる、みんな、いまのきいてたよね?」というと、みな、おおきくうなづいている。
すべての子に、自分の持ち味と、それをのばすためのポイントをいかに伝えるか。
その子がどれだけ自分の持ち味を理解するか。
そして、その情報をそれぞれみなで共有する。
「この部分は私」「ここは私はまだまだ練習しないといけないけど、あの子はここが得意」
そうして、チームワークが生まれ、合唱のハーモニーができあがる。
苦手な部分は得意な子のを聞いて歌う。そうして、だんだん、全部まんべんなくできるようになってくる。
まだまだ伝えきれていないと思うことも多い。
もっと工夫が必要だと思うことばかりだ。
私自身がもっと、表現方法や伝える言葉を磨き、子供たちにむきあっていきたいと思う。
その子の持つ世界にたった一つの「声」を守り、育てる。
その子がずっと歌を愛し続けられるように。
そして、ずっと自分を愛し続けられるように。
これが私の役目だと思っている。
~「オンチはいない~子供の声と歌について」  おわり

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  1. 「必要のない声はひとつもない」(合唱団たより より)

  2. ありがとうございました

  3. せんせいがこのなつやすみにけいけんしたこと

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